難波昭二郎

読み方:なんば しょうじろう

最終更新日 2019-05-24 18:23:54

難波昭二郎のプロフィール

基本情報
世代1934年度生まれ
利き腕右投右打
身長173cm
体重75kg
ポジション内野手
所属
中学高槻中
1947年,1948年,1949年
高校高槻
1950年,1951年,1952年
大学関西大
1953年,1954年,1955年,1956年
ファン登録数0人
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[球歴編集]

[難波昭二郎の選手情報を編集する]



難波昭二郎は高槻中 - 高槻 - 関西大に所属していた内野手。

難波昭二郎の最新の出場成績

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難波昭二郎の中学時代

中学時代は高槻中でプレー。

プロ入りしたチームメイト

主なチームメイト

大会成績・背番号

背番号大会結果

中学生時代のエピソード・逸話

高槻中1947年メンバー・戦績高槻中1948年メンバー・戦績高槻中1949年メンバー・戦績

難波昭二郎の高校時代

高校時代は高槻でプレー。

プロ入りしたチームメイト

主なチームメイト

大会成績・背番号

背番号大会結果

高校生時代のエピソード・逸話

高槻1950年メンバー・戦績高槻1951年メンバー・戦績高槻1952年メンバー・戦績

難波昭二郎の大学時代

大学時代は関西大でプレー。

プロ入りしたチームメイト

主なチームメイト

大学生時代のエピソード・逸話

関西大1953年メンバー・戦績関西大1954年メンバー・戦績関西大1955年メンバー・戦績関西大1956年メンバー・戦績

レビュー・寸評

アイコン
smart62period
2019-05-10 17:50:46
[参考]
沢木耕太郎「三人の三塁手」『敗れざる者たち』文藝春秋〈文春文庫〉

内田 今朝雄『もうひとりの4番サードN: 難波昭二郎の軌跡』東洋出版

[来歴・人物]

大阪府生まれ。

『 高槻高等学校 』を経て、

1954年に関西大学に入学。2年生から四番打者を務め、関西六大学リーグでは1956年春季リーグ、1957年春季リーグで優勝。
1年下のエース村山実とともに投打の両輪として活躍し、1956年の全日本大学野球選手権大会でも優勝を飾る。

リーグ通算86試合出場、283打数73安打、打率.258、7本塁打。
当時の『本塁打リーグ記録』を打ち立てた。

大型三塁手として関西の大学野球界を代表する選手で、『 同時期に東京六大学野球で活躍し同じく本塁打のリーグ記録(8本)を作った長嶋茂雄 』と並んで

⬇ココ重要!
『 東の長嶋、西の難波 』と称された。

プロ入りに際して、難波は中日ドラゴンズへの入団が内定していたが、長嶋の獲得見通しが立っていなかった(南海ホークスへ入団すると見られていた)読売ジャイアンツの命を受けた、関大の先輩で読売新聞運動部記者の坂本幸夫から熱心な誘いを受けて翻意。長嶋の入団が決まった後、巨人は難波に対して中日を選んでもよい旨通告したというが、難波は再翻意せずに長嶋と2人そろって巨人へ入団することになった。

1958年春季キャンプ初期の時点では、水原茂監督は二塁・難波、三塁・長嶋を構想していた。
しかし、長嶋の入団により三塁手から二塁手へコンバートされてきた土屋正孝との競争に敗れ、難波は代打や外野手の控えとして40試合の出場に留まる。

1959年は引退した川上哲治の後継を与那嶺要・王貞治と争い、一塁手として17試合に先発出場。同年は二塁手、三塁手、外野手としても起用され、66試合に出場(うち35試合に先発)、本塁打も5本打っている。

しかし、1960年に王が一塁手のレギュラーに定着すると、出場機会が半減する。

1961年は土屋が国鉄スワローズへトレードされ正二塁手不在の状況となるが、藤本伸・塩原明らの台頭を横目にチャンスを生かせず、わずか10試合の出場に終わった。

1962年に西鉄ライオンズへ移籍するが、14打席で8三振を喫するなどほとんど活躍できず、同年限りで現役を引退した。

引退後はデュプロに就職。非公式ながらデュプロ硬式野球部の設立・強化を支援し、1969年には都市対抗野球大会に出場するまでに成長させる。

その後、パイオニアに入社していた坂本幸夫に誘われて、同社に転職[6]。後に当時傘下だったワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)に移籍、制作ディレクター・プロデューサー・営業等を務め、その後取締役に就任した。プロデューサー・ディレクター時代には、長嶋茂雄関連の音源の販売権を取得した他、さだまさしや小林幸子等を担当していた。

2009年8月14日に心不全のため死去した。満74歳没。

[エピソード]
長嶋茂雄本人が主人公として出演した1964年公開の映画『ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗』(佐伯幸三監督作品、東宝)で、難波をモデルにした登場人物を佐原健二(劇中では「波山」役。劇中、先述にあった「東の長嶋、西の波山(難波)」という台詞がある)が演じた。

長嶋との交流は引退後も続いていた。長嶋関連の音源販売権を巡って各レコード会社が争奪戦を繰り広げた際、当初難波は黙って見ていた。残り数社に絞られた候補の一つにまでワーナー・パイオニアが残ってから、難波は初めて長嶋に会いに行き、「他の人より、もしかしたらぼくが売る方がいいかもしれない」とだけ伝えたところ、翌日に長嶋から応諾の返事が来たという

#難波昭二郎

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